嫌なものは誰が何と言おうと嫌なもの
・ムカつくアイツ
・パクチーのあの匂いと味
・優柔不断な自分
・ゴキブリ
キリがないのでもうやめとこう(笑)
でも、もし絶対嫌と感じていたとしても、それは実は単なる思い込みで、相手はそんな自分のことを嫌いとは思っていないかもしれないし、単なる食べず嫌いで、調理法を変えてみたら意外に美味いと感じるのかもしれないし、色が黒いだけでカワイイと思えるかもしれない
#ゴキブリを食用とする国もある
あるいは、それをやることで自身のプラスになる可能性があると分かったらどうだろう?
あるいは、それをやることで10億円がもらえるとしたらどうだろう?
#それなら死ぬこと&殺すこと以外はヤル( ̄▽ ̄)
嫌いの裏側にあるもの
もしかすると「怖い=嫌い」になっていないかと考えてみるといいかもしれない。
言わずもがな「怖い」と「嫌い」は全くの別物である。
「失敗したから」
「アイツに無視されたから」
「みんなの前で恥をかいたから」
ときにかつての体験がトラウマになってしまい、その後の人生の歯車が狂ってしまうこともあるだろう。
でも辛いかもしれないがその時の体験を振り返ってみて欲しい。
その失敗は何度も繰り返してのことだろうか。
いとも簡単に「ムリ」と諦めやしなかっただろうか。
今までの人生において諦めずチャレンジし続けたことで、好きになれたという経験はないだろうか。
それでもやっぱり怖いと感じている人へ
僕は(自分の非を認めた上で)相手から嫌われているなと長い間思って距離を置いていた友人に昨年末、思い切って連絡してみたことがある。
勇気がいることだったけど、たとえこのまま会うことがなかろうが、ちゃんと謝っておこうと感じたからだ。
いざ連絡してみると、相手もそこまで深刻になってはおらず、(そのように装っていただけかもしれないが)、お互いのボタンの掛け違いもあったということもわかり、スッキリした。
もし自分が抱える恐怖を克服することで、幸せを手に入れると考えてみたらどうだろうか。
その人との人間関係が改善したら、きっと楽しいことが増えるに違いない!
嫌いなものが食べられるようになると、食のレパートリーが増え、食事を楽しむことができるに違いない!
自分のことが好きになると、自信が持てるようになり積極的に行動できるようになるに違いない!
怖いという感情、不安という感情を「嫌い」というフタで閉じ込めないで欲しい。
その感情を味わうことは大切だけど、十分に味わったら次どうするか考えて行動する。
「やる」を取るのも「やらない」を取るのも自分の選択
どちらが正解というわけでもない。
でも、やらないことで後悔するくらいならやるを選択したいと僕は思う。
そこから学ぶことは必ずあるし、成長できると感じるから。
みなさんはどうですかー